中川家は、戦国時代に摂津国の武士であった太祖中川清秀が、優れた武勇で立身して12万石を領する大名家へ導きました。3代藩主中川秀成が、豊臣秀吉の命により文禄3年(1594年)豊後岡藩に6万6千石の所領を与えられ移封されました。以来、廃藩置県まで豊後岡藩の藩主として一度の移封もなく存続しました。
その居城であった岡城は、豊後国で雄藩の城郭として、その雄姿を誇り続け、瀧廉太郎が作曲した『荒城の月』のモチーフとなりました。
中川久定(ひさやす)氏は、中川家18代当主として、昭和6年(1931年)東京で生まれました。昭和28年(1953年)京都大学文学部仏文科を卒業、フランスのソルボンヌ大学博士課程に学び、名古屋大学、京都大学文学部仏文科、近畿大学で教壇に立たれました。平成9年(1997年)からは、京都国立博物館長に就任されました。さらに、国内に留まらずフランスのパリ・ディドロ大学、パリ国立東洋言語文明研究所、パリ高等師範学校の客員教授も歴任されました。
久定氏の多くの功績を称え、フランス教育功労章オフィシエ(1985)、京都新聞文化賞(1993)、日本学士院会員(1995)、勲二等瑞宝章(2001)、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ(2004)が贈られました。
旧岡藩主中川家の御当主としても、中川家が所有されていた数多くの資産を地元竹田市に寄贈されました。また、岡藩(竹田市)の魅力を創出するため多くの提言をされ、「18世紀学会竹田大会」の開催や「竹田総合地域学センター由学館」を設立して、みずから活動を実践されました。竹田市から平成13年(2001年)に名誉市民の称号が贈られました。
中川家の郷土である竹田を愛し、人並み外れた熱意と国際的視野をもって生涯、人文学の研究に取り組まれました。仏文の大著『フランスと日本における啓蒙の精神』(パリ、2015)を遺し、平成29年(2017年)86歳の人生の幕を閉じた久定氏の深い思いを継いで、夫人中川洋子氏は中川家の財を寄付し、奨学金・研究助成等の制度を設け、いささかなりとも社会に貢献したいと、本基金の設立を思い立たれました。
当法人は、向学の意欲に燃える郷土の若者たちを、また広く人文学分野の日本研究者を支援したいという洋子氏の強い願いを受けて、日本社会と世界の変化を視野に入れつつ、健全で才幹豊かな人材の育成によって郷土の発展に寄与すること、また優れた日本研究者の奨励と表彰を通して、ささやかながら、日本の人文学研究の発展に貢献することを目指します。
令和5年(2023年)4月
一般財団法人 中川久定記念基金
令和6年(2024年)3月1日(金)より、「令和6年度 中川久定記念基金奨学生(大学院生)」の受付を開始致します。
「第1回 中川久定記念基金由学館賞記念講演会」を令和6年(2024年)5月18日(土)に開催致します。
皆様の参加をお待ちいたしております。
定款 |
奨学育英事業に対する助成を行い、もって有為の人材の育成と教育の振興に寄与します。
募集要項 |
奨学生願書 (高等学校) |
奨学生願書 (大学・大学院) |
奨学生推薦書 (大学院) |
個人情報同意書 |
奨学生生活状況 報告書 |
『豊後国志』を編纂した豊後岡藩校由学館の事績にちなみ、「中川久定記念由学館賞」を設け、人文学分野の研究を通じ、学術・文化の向上、調和ある地域社会の実現に貢献する研究者(個人)又はグループを表彰します。
募集要項 |
候補者申請書 |
推薦者申請書 |
推薦理由書 (候補者申請用) |
推薦理由書 (推薦者申請用) |
学術書の概要 |
人文学分野における研究の発展や研究者の育成及び支援の観点から、若手研究者による17~19世紀日本を対象とする優れた学術書の出版に要する経費の一部を助成します。
募集要項 |
申請書 |
学術書の概要 |